ZIPPOってなに?という方々のために、ジッポー社の歴史について簡単にご案内させていただきます。
(正式には、Zippo Manufacturing Companyですが、単に「Zippo」と呼ばれることが多いです。日本ではZIPPO社またはジッポー社で通っているようです。)
ZIPPO社は、1932年、アメリカのペンシルベニア州ブラッドフォードにてジョージ・グラント・ブレイズデル氏によって創業されました。
頑丈で確実に火がつくライターを作ろうとブレイズデル氏が決心するところからZIPPOの歴史が始まりました。
まず、ブレイズデル氏はオーストリア製ライターの販売権を得ますが、このライターは使うたびにふたの部分を取り外さないといけない不便な構造で、彼はそれを改良して新しいライターを開発しました。
簡単に説明しますと、ライター自体を長方形にしてフタと本体をつなぐヒンジ(ちょうばん)を取り付け、片手でライターのフタを簡単に開け閉めできるようにデザインしました。
また、ウィンドフッドまたはチムニーと呼ばれる防風の役割をする部品を火のつく芯の周りに取り付けました。これによって着火性能が向上して、屋外でもZIPPOの火が消えにくい一つの要因となりました。
当時、同じペンシルベニアにあるTalon Companyがファスナーを開発しましたが、その名前が今でも使われている「Zipper」(ジッパー)でした。その音の響きが気に入ったブレイズデル氏が、「Zipper」をもじって「ZIPPO」と名づけたそうです。
これがZIPPOライターの誕生となります。
ZIPPOライターといえば、故障すればいつでも無料で修理するという永久保証が有名ですが、当初から永久保証をすべてのZIPPOライターに付け販売していきました。
自社製品への自信とプライド、そして愛用者へのケアを考えた保証制度はもちろん現在も続いています。
しかし、ZIPPOライターはすぐにヒット商品となったわけではありません。厳しかったアメリカの大恐慌も経験しています。
なかなか爆発的に売れないZIPPOライターに、企業などのロゴマークを刻印したり貼り付けるなどしたことから、ノベルティ・グッツとしてそのシェアを伸ばすようになります。
その後、第二次世界大戦では、ZIPPOライターは確実に火がつくライターとして兵士たちの信頼を得ます。
ブレイズデル氏は1978年に他界しましたが、その遺志を継ぐZIPPO社の人々によって創業から現在まで、5億個以上のジッポーライターが世に送り出されています。
時代の進化と共に、ZIPPOライターも細かい点ではパーツが強化されたり、形状が少し変化したりしていますが、ブレイズデル氏が発案したZIPPOライターのオリジナル構造は今でも受け継がれています。
現在、ZIPPOライターは120カ国以上で販売されています。